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今日も逍遥館 ~ 京都大学吉田南総合図書館のブログ ~

京大吉田南総合図書館にまつわる日々の話をスタッフが気の向くまま紹介するブログです

海外での研究生活 -Visiting Researcher(客員研究員)が見たアメリカ-

こんにちは!逍遥館です。夏休みも中盤、皆さんいかがおすごしでしょうか。


「院生さんに聞く」シリーズ、今回は人間・環境学研究科博士課程院生Nさんの海外研究生活について、ご紹介します。
Nさんはご自身の研究のため、約2年半前にアメリカのニューヨークへ留学されました。研究分野は「ブンドによる民族自治について」。京都大学からの交換留学を選ばず、留学先を自分で決め、自力での留学を実行したのは、確固とした目的があったからこそ。
海外での研究生活は決して安易なものではないものの、苦労の反面楽しくもある、充実した生活を送られていたとのこと。では、早速お話をご紹介しましょう(ご所属は2014年11月現在のものです)。

 

 研究テーマを教えて下さい。

東欧のユダヤ人の民族運動を研究しています。具体的には、「ブンド」と呼ばれた、ロシアやポーランドで活動したユダヤ人社会主義政党を対象に、彼らが目指した「文化的民族自治」の構想や、その実践としての、イディッシュ語(東欧ユダヤ人の言語)による学校運動について調べています。

 留学の話を聞く前にお伺いしたいのですが。学部3回生で転学部されたそうですね?

私はもともと、文学部に所属していましたが、学部2年生で専攻の希望を出す際、面白いと思う授業がなく、決めかねていました。近現代のヨーロッパのユダヤ人の歴史や社会について知りたいと思っていたのですが、文学部では、ユダヤ系作家の文学作品を扱うというアプローチが主で、自分にとってぴったりくるものを見つけることができませんでした。総人のほうがアプローチが多彩で、やりたいテーマで研究をできそうだとなんとなく思っていました。学部の時に受講した岡眞理先生の授業(「現代文明論基礎ゼミナール」でパレスチナ問題に関することを学びました)に感銘を受けていましたし、大川勇先生も、文学がご専門ですが、ユダヤ人のことも含め、ドイツの思想、社会、歴史を幅広く扱われていたので、総人のほうが面白いかもしれないと思いました。
単位のことも考え、2回生から総人の授業を受けていました。総人は大講義ではなく演習形式の授業を2回生から受講でき、楽しかったのを覚えています。

 今の研究を始められたきっかけは何ですか?

学部の時に出ていた岡先生の授業で、パレスチナ/イスラエル問題について知り、その背景に興味を持つようになりました。イスラエル国内やパレスチナでパレスチナ人が暴力や人権侵害などひどい状況に置かれていることは授業でよく分かりましたが、ではなぜそのようなことが起こるのか、ということは、パレスチナそのものよりむしろユダヤ(イスラエル)の側からみないとわからないのではないかと思いました。そこで、パレスチナにユダヤ人の国家が作られた背景について知りたいと思いました。
 現在のイスラエルを作ったのは、ヨーロッパで生まれたシオニズムという思想・運動ですが、ヨーロッパのユダヤ人の歴史について学ぶ中で、シオニズムと同じ時期に生じ、反シオニズムの立場をとったブンドというユダヤ人の組織があったことを知りました。ブンドは、ヨーロッパの多民族国家の枠組みの中でユダヤ人の民族自治を得ようとしていた組織で、その考えに興味を持ちました。ブンドが目指したのは、ユダヤ人が学校など文化的な問題に限って、自治を得ようとするものでした。民族が固有の領土を持つべきという発想を放棄し、一つの国家内で多民族の共存を目指すというものです。パレスチナ/イスラエル問題の背景を知りたいという当初の関心からはかなりずれてしまいましたが、ブンドの考え方に好感を持ち、ブンドのことを勉強しようと決めました。

それでも、D2(博士課程2回生)までは自分の中でテーマが漠然としていました。現在は、ブンドが目指したイディッシュ語による教育活動にテーマを絞っていますが、このテーマに決まるまで時間がかかりました。ブンドの文化的民族自治の考えに興味があるといっても、これ自体は体系的な理論に高められたものでもなかったので、博士課程での研究テーマとして掘り下げるのが難しかったです。結局、文化的自治の考えそのものではなく、その実践として、ブンドが率いた学校運動について掘り下げようと決めました。イディッシュ語による学校のネットワークをつくり、ポーランド国家から法的承認や財政支援を得ようとする運動です。

 学部時代にユダヤ史に興味をもったときから、イディッシュ語の勉強を始めていて、少し分かるようになっていましたし、ユダヤ人の研究をしている先生も周りに若干名おられたので、ブンドの研究も、できるかな、と安易に考えていたのですが、実際始めていると、日本国内に資料がほとんどないことがわかって本当に大変でした。今から思えば見通しが甘かったなと思います(笑)。

留学しようと思われたきっかけは?

1.YIVOの存在
イディッシュ語による出版物や資料を集めた研究機関である「ユダヤ学術研究所(YIVO:Institute for Jewish Research)」という機関がニューヨークにあるのですが、ここに行かないと自分の研究ができないと思ったからです。YIVOについては、今までお世話になった野村真理先生から聞いており、京都でお会いする機会のあったFeliks Tych先生からも、ブンド研究をするにはYIVOが一番重要な文書館だと聞いていました。その後何度か渡米し、YIVOを訪れて、改めてここで腰を据えて調査したいと思うようになりました。

2.先生からの激励
また、はじめて渡米した時、後にニューヨーク市立大学で受け入れ元になってくださった、ブンド研究をされているJack Jacobs先生とお会いした体験は大きかったと思います。
ブンドのことは日本でほとんど知られておらず、当時は自分の研究のやりかたも、既に書かれている研究を紹介するという側面が大きかったのですが、Jacobs先生から「日本国内であれば紹介という形の研究でも意味があるかもしれないが、本当にやるんだったら、新しいことを見つけてブンドの研究に貢献しないとだめだ」と叱咤激励されました。
それからずっとニューヨークに留学したいと考えていましたが、京都大学と提携を結んでいるアメリカの大学はハワイにしかありません。二度目の訪問で、Jacobs先生から、アメリカで10か月間滞在研究ができるフルブライト奨学金(後に記載の「よもやま話」も参照ください)のプログラムの話を聞き、応募しようと考えました。

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 ↑ブンドの学校運動で活躍した人物の墓。NYのユダヤ人墓地にて

      

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 事前準備について教えて下さい。

まず、フルブライトに応募するためにTOEFLで応募に必要なスコアを取る必要があったので、応募前の1ヶ月間ほどは研究そっちのけでTOEFLの勉強ばっかりしていました(笑)。特に苦手だったリスニングとスピーキングを重点的に勉強しました。

 留学が決まってからは、ビザ取得の手続きや航空券の手配などはフルブライトが準備してくれました。保険や銀行口座の開設についても、オリエンテーションの間にフルブライトでほとんどしてくれました。
ただ、住居は、自分で探さないといけませんでした。ニューヨークでの完全な一人暮らしになると月1200ドルは下らないので、ルームシェアしか考えられませんでした。シェアの場合は、家具は部屋に備え付けなので、買い揃える必要がなくて楽です。ちなみに、留学先のニューヨーク市立大学には寮があるらしいのですが、家賃が一人暮らしより高く、選択肢に入りませんでした。一般にルームシェアの契約は月単位で可能なので、部屋は渡米直前に決めました。以前に短期でニューヨークに行った時にお世話になっていたゲストハウスの日本人オーナーが管理する物件が、ブルックリンというマンハッタンまで地下鉄で20分の場所にあるとても交通の便が良い所にありました。部屋は7畳一間の個室で、月700ドルとニューヨークにしてはかなり安かったです。また、オーナーが日本人ということもあり、生活していて困ったことがあっても連絡が楽ですし、心強かったです。
一から探すとなると、現地の人とどうやってやりとりしていいのか、最初はわからないのですが、とにかくやってみると案外できるものだと分かりました。

留学先ではどんな生活でしたか?

最初の秋セメスターは受入れ先の講座の先生の「近世ヨーロッパのユダヤ史」という授業を週一回(90分。1クラス4人+先生1人)取っていました。クラスの皆で、5〜7本くらいの論文を読んで、議論する形式でした。普通は1冊の本を1週間で読んでディスカッションするらしいので、私の取った授業は楽なほうでしたが、それでも大変だなあと思いました。
ディスカッションでは、気になった所、各論文のポイントや論者の見解の違い等、何でも言い合います。授業参加度が評価に繋がるので、多少話の流れとずれていてもとりあえず発言するという感じの学生も多く、先生もそうした発言でも必ず拾って展開していくところが印象深かったです。
授業の無い日はYIVOで閉館(16-17時)まで調査研究をしていました。週末は家やニューヨーク公共図書館(New York Public Library)やニューヨーク市立大学の図書館で勉強をしていました。
1月はCJH(Center for Jewish History:YIVOのほか、American Jewish Historical Societyなどユダヤ史に関する文書館や研究機関の共同施設)の主催する短期講座を受講しました。この短期講座は、色々な大学の先生が授業をするもので、一人最大2コマ受講が可能でした。私は、イディッシュ文学の作品を読んで議論する授業と、ソヴィエトのユダヤ人についての講義形式の授業を取りました。課題を読む量は大学の授業と変わらないくらい多く結構大変でしたが、やりがいがありとても楽しかったです。3月には、イディッシュ語ネイティヴの先生によるイディッシュ語講座を受講しました。それから初夏にかけては、YIVOで論文作成のための資料集めをしていました。

 休日はどうすごされていましたか?

勉強ばっかりですね。旅行は、フルブライトのオリエンテーションで知り合った友達に会いにニュージャージーに行ったくらいで、旅行らしい旅行はしていません。とはいえ、日本人のルームメイトとはよく遊びました。休日になると遊びの計画を立ててくれて、大型インテリアショップに連れて行ってくれたり、近くにある植物園にお花見にいったりしました。

 留学するまでの葛藤と、留学してから感じたことはありますか?

留学を決めるまでにはいろいろ精神的な変化もありました。修士の時は、ブンドの先行研究を調べながら論文を書いたのですが、そこに独自のアプローチはなくて、いわばすでにある資料をまとめただけで終わっていました。そこからどう発展させようか、という方向性が、この時点ではまだ見えていませんでした。今回の留学の前にもYIVOを訪問したことがあったのですが、その時も膨大な量のアーカイヴ資料を前に途方に暮れるだけで終わってしまいました。Jacobs先生にも、アーカイヴは「見たい」と資料を絞り込んで見に行くものであって、漠然と全体を見るというのはありえない、というようなことをやんわりと諭されました。自分の研究に対する甘さのようなものを痛感し(なおかつ英会話もあまりできなくて)、これは本気で腰を据えて勉強する必要がある、と留学をより強く希望するようになりました。ただ、この時は、自分の見通しの甘さに落ち込むと同時に、先生に言われたような「ブンド研究に貢献する新しいこと」を探さなきゃとやたらと焦っていて、何もうまくいきませんでした。今思えば、「新しいこと」と焦る前に、日本でも読める基礎文献をじっくり読むなど、やれることはたくさんあったと思います。けれど、その時は一方で、日本で「新しいこと」を見つけるのは難しいように思い込んでいて、他方で日本を出るためには、奨学金申請などのために「新しいこと」を盛り込んだ研究計画を立てないといけない、とも考えていたので、完全なジレンマに陥っていました。

その後、D2の春に1か月ほど再度渡米した時には、ブンド全般から、ブンドが関わったイディッシュ語による教育活動へと、関心の的が絞れてきていたと思います。YIVOのアーカイヴィストさんに「ブンドとイディッシュ語の教育活動の関係を調べたい」と伝えると、前回よりももっと具体的な資料を見せてもらうことができました。資料を実際に手に取って見ていく中で、この方面ではまだ明らかでないことがたくさんあるということも実感しました。ここが転機となり研究の方向性がある程度定まりました。

留学は本当に楽しかったです。ホロコーストの後、イディッシュ語はユダヤ人の間でほとんど使われなくなっているのですが*1ニューヨークは、イディッシュ語を話す人のコミュニティが今も存続している地区があり、イディッシュが「そこにある」ことを感じられたこともとてもよかったです。

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↑NYのユダヤ人墓地の一つ。東欧出身の社会主義者たちが眠る一画

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↑東欧のユダヤ移民たちが建設したシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝・集会堂)の一つ。マンハッタンにて

 留学をして得たものは何ですか?

まだまだ及ばないことが多いと思いますが、海外の研究者と自分の研究について怖じ気づかずに話し合えるようになれたことでしょうか。できているかできていないかは別として、自分のやっていることを既にあるものの連鎖の中に出していくのを当たり前のこととして見られるようになりました。

それから、研究のためにどこに行けば何がわかるのか、アポイントの取り方から話のまとめ方などが苦なくできるようになったことも収穫の一つです。

最後に留学をしたいと思っている人へメッセージをください

私は心配性な所があるので、いろいろ不安が先に立つことが多かったのですが、もし留学をしようと思って心配になったとしても、心配や不安には意味がないと言いたいです。とにかく何か「ひとつ」やってみること。漠然と不安があっても、具体的なことに一歩踏み出すことができれば、あとは何とかなります。また留学中は辛いこともあるかと思うので、気分転換の仕方を考えた方がいいと思います。

それから、留学するには確たる目的と目標を持って行った方がいいと思います。理由が消極的だったり(日本にいるよりは得るものが多いかな等)、動機付けが弱いと現地に行ってから目標を見失うことになりかねません。また、留学生とのつながりは結構重要だと思うので、留学したら友達を積極的に作った方がいいと思います。

  ーありがとうございました。

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 留学よもやま話

1.YIVOとニューヨーク市立図書館

研究機関については、YIVOのみならず、大学や公共図書館でも資料がとても充実していて、たいていのものがすぐに手に入ったことに驚きました。他大学からの取り寄せも無料で、ポーランド語の本などもほとんど入手できました。図書館に関しては、ニューヨーク公共図書館が素晴らしかったです。イディッシュ語の資料も豊富にあって、揃わないものはないかもと思わされるくらいでした。また、YIVOでは定期的に研究者や大学院生による小規模の講演が催されたり、冬休みなどに講座があったり、気軽に参加できることもよかったです。

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↑ニューヨーク公共図書館のエントランスホール

 2.フルブライトについて

正式には「日米教育委員会 フルブライト奨学金」というのですが、この奨学金制度はサポートが充実していて本当におすすめです。留学にかかる費用は旅費も含め全額サポートしてくれます。生活費は月に2000ドルほど支給されました。また、このプログラムには、単に勉強や研究をするだけではなく、いろんな国の人と交流してほしい、アメリカの文化を知ってほしいという意図もあり、交流会や文化的・社会的な催しなど常時なにかしらのイベントが開催されていました。私はほとんど参加していませんが、こうした機会を利用すればもっと充実した留学生活が送れると思います。

3.他の留学生との交流

ニューヨークへ移る前の最初の3週間にアリゾナ大学で開かれたフルブライトのプレアカデミック・オリエンテーションも楽しかったです。ルームメイトのロシア人を始めとして、ポーランド、アゼルバイジャン、トルコ、パレスチナ、インドネシア、韓国、中国、中南米諸国など様々な国の学生と出会いました。アメリカの大学院に正規の学生として入学する人が主で、オリエンテーションではライティングの授業やアメリカの大学院生活について知るための授業などがありました。また、アメリカの大学では、一つの課題にグループで取り組み発表するグループワークがよくあるらしいのですが、それもやりました。

いろんな国の人がいましたが、アジア出身の学生といると落ち着きました。気持ちの表現の仕方や、いわゆる「間」や「空気」が日本と似ているからでしょうか。オリエンテーションで知り合った人たちとは、クリスマスなどの休みの時には皆で集まって遊んだりもしました。

4.論文執筆

留学中の時分の研究に関しては、たまたま、フルブライトのプログラムがはじまる直前に、ポーランドのワルシャワでブンドに関する若手研究者向けの国際ワークショップがあり、そこで発表していたのですが、この成果を論文(On the cultural front: the Bund and the Yiddish secular school movement in interwar Poland:雑誌名:East European Jewish Affairs)にまとめる時期がちょうどフルブライトでの留学期間と重なったのは幸運でした。YIVOが身近にあり、指導教官のジェイコブス先生にも相談できるという環境で作業を進めることができたのは本当によかったです。

 

 (M)

 

 

 

*1:「ユダヤ人国家」であるイスラエルの国語はヘブライ語

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