今日も逍遥館 ~ 京都大学吉田南総合図書館のブログ ~

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潜入ルポ「ハイデガーの『存在と時間』―「気づかう人(homo curans)」としての人間」グレート・ブックス読書会

こんにちは。逍遥館です。

去る10月23日(金)に、第8回グレート・ブックス読書会「ハイデガーの『存在と時間』―「気づかう人(homo curans)」としての人間」を開催しました。
前回のカント読書会に引き続き、今回のハイデガー読書会にも参加してきました。

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今回、読書会に参加したスタッフMが感じたのは、先生のお話されることも、学生の皆さんの質問内容も、加えてそれに対する先生の ご回答も、全てが「難しかった」ということ・・・!

それから、前回と同様、今回も学生の皆さんの発言や質問がとても盛んだったことも印象的でした。
例えば、「存在について考える心境を目指す?それともその答えを導く?」や、「なぜ【存在】に着目するのだろう?」や「動物は気づかいがないということ?」など。参加者の問題意識の高さに眩しささえ覚えました。

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↑先生の板書。記号と文字でハイデガーを解く。

以下、先生が話された内容で、印象に残った言葉を書き出してみました。

・存在=わたしたちはある程度理解している→じゃあ、「ある」ってどういうこと?
・「ある」ものとかかわりながら人は生きている。
・関心の矛先は、①自己、②世界、③自分と相対するもの
・「何もしない」ことも気づかい。
・欲求を持つ時、一定の関心が動いている。
・人間的気づかいをしているかそうでないか、がハイデガーにとっての基準。動物ではなくあくまで人間の次元に立っている。
・観念・表象=我々にとって見えるもの。「見え」を引き起こすものをとらえられるか。
・カントは外的世界の証明が必要と思っている←「関心」=気づかい。
・ハイデガーはカントの考えを批判する前に、そもそもカントのこの「関心」は、持つにふさわしいのかを問うた。次元の違う疑問。
・現世界は世界の中にあるもの。だから証明(問うこと)は必要ない。なぜなら根本的にいないといけない「場」だから。
・この関心に対して批判的な目でみる。「大事なのそれ?」→関心に対する関心。
・根本的関心に批判的になる。一定の距離をとって関心を持ってみよう。

 

 以下、今回の読書会に参加した職場の先輩との会話。

 

A「私はカント派です」
M「そうですか・・・(←何派と言うところまで行っていない)」

(M)

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